ア. 福沢諭吉
イ. 樋口一葉
ウ. 野口英世
昔の銭湯は湯を張った浴槽(よくそう)もなく、サウナのような蒸し風呂でした。当初は入浴専用の衣服に身を包んでの入浴。現在のように裸で入浴するようになったのは幕末のころです。
江戸に銭湯が初めてできたのは、1591(天正19)年の夏ごろと言われています。徳川家康が江戸入りした翌年のことでした。伊勢からやってきた商人が、江戸の町に水路(すいろ)を引いたり埋め立てをしたりしている様子を見て「工事は数年かかるし、人も集まる」「現場で仕事をすれば汚れる」「銭湯なら儲かるだろう」などひらめき起業しました。当時の風呂は、焼いた石に水をたらして湯気を出す蒸し風呂で「伊勢風呂(いせぶろ)」とも呼ばれていました。
銭湯と文明開化
ペリーが浦賀に来航、300年続いた徳川幕府の崩壊(ほうかい)、明治維新と新しい時代の幕開けの中で、銭湯も時代の変化を敏感(びんかん)にとらえ、大きく変革(へんかく)していくことになりました。江戸が東京と名称を変えてからも銭湯は次々開業、その数は急激に増加していきました。東京府統計書によると、1881(明治12)年の銭湯数は1000軒を優に超えていて、かの福沢諭吉も東京(三田)で銭湯を経営していました。