ア. 鶴見区
イ. 南区
ウ. 中区
江戸時代では体を洗うには糠袋(ぬかぶくろ)でしたが、明治になると石鹸が使われるようになりました。石鹸は「シャボン」といわれ、日本に初めて伝わったのは信長や秀吉の時代の南蛮貿易(なんばんぼうえき)だといわれています。江戸時代でも舶来(はくらい)の石鹸を使っていたのはごく一部の人たちに限られていました。
国産の石鹸は、明治に入ってから数人の人たちによって作られるようになりました。横浜では、フランス人技師ボエルに石鹸の製造を教わった磯子村の出身の堤磯右衛門(つつみいそえもん)が家財(かざい)を投じて現在の南区にある横浜市大病院近くに「堤石鹸製造所」を設立、1873(明治6)年に完成しました。堤石鹸はその名を全国に知られるようになったが、磯右衛門の死去により1893(明治23)年に廃業しました。
一方、1893年に東京馬喰町(とうきょうばくろうちょう)で洋小間物店を開業したばかりの長瀬富郎(ながせとみろう)も石鹸の製造に成功、現在の「花王石鹸」です。